遠くのこだま

日々のあれこれ写真日記

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赤く咲いても


blog110122


大寒に入ってからも、昼間は冬晴れが続いています。
サザンカの真紅色が白飛びしてしまうくらいの強い日光。

サザンカは白じゃないと冬の身が引き締まらないという見方もありますし、私自身も白い花の方が好きですが、野山にも庭にも色が乏しい冬枯れの時期にはこんな赤色もいいんじゃないかなと思います。

「赤く咲いても冬の花」

大川栄策さんが歌っていた演歌「さざんかの宿」(古いです、はい)の中に出てくる歌詞。
元作詞家でエッセイストの麻生圭子さん曰く、このワンフレーズはすごいんだそうです。
赤く咲いた冬の花、ならどうってことない普通の光景だけれど、「赤く咲いても」となると、そこに不条理な寂しさが宿ると。(雑誌「月刊京都」2010年12月号)
なるほど、確かにそんな感じですねぇ。
仮定の逆説。接続助詞「ても」は鋭く冴えてます。




赤色と言えば、今日は赤いりんごの木の話を読んでました。


おおきな木おおきな木
(2010/09/02)
シェル・シルヴァスタイン、Shel Silverstein 他

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原題は「The Giving Tree」
大きなりんごの木は少年が大好き。自分のすべてを惜しみなく彼に与え、少年は素直な貪欲さでそれを受け取り続ける。
一読後はただ求めては与えられるばかりの少年に反感を抱くのだけれど、奪われ続けてなお幸せだと言う木にも何か一筋縄ではいかない不思議な執着心を感じてしまいます。そういう生き方もあるものなのか。
必ずしも「母性」の象徴とは限らないと訳者の村上さんも書いていますし、もっと深い何かがあるような気がしますが、なんとも複雑な読後感。
子ども向きの単純な童話でないことだけは確かです。


[ 2011/01/22 22:06 ] 読書 | TB(0) | CM(2)
こちらにも こんばんは。

「赤く咲いても冬の花」・・・日本語ならではの表現なのかなと思います。
英語などでは、この微妙なニュアンスは出ないのではないでしょうか。

「おおきな木」、そよこさんの感想を読んで、深い、考えさせられるお話だなと思いました。
以前、何かで、愛とは何かという議論で、相手がどうあろうと与え続けるのが愛だという人に対して、別の一人が、それでは、なにか片落ちな気がすると言ったことを思い出しました。
[ 2011/01/24 23:21 ] [ 編集 ]
ミツコさん、こんばんは。

たとえ赤く(はなやかに)咲いたとて、しょせん凍える冬の花なのよ…ってことなんでしょうねぇ。演歌っぽい情緒が漂ってきます。
そう言えば、英語だとどう表現するんでしょう。
翻訳サイトを使ってみました。
It is a flower of winter even if blooming in red.
だそうです。うーん、妙にすっきりしてますね(笑)。

「おおきな木」の最後で、葉っぱもりんごの果実も枝も幹も全部男の子にあげてしまって、古い切株だけになった木に、老人になった男の子が戻ってきて腰掛けるところがあるのですが、木は彼との再会を喜び幸福を感じます、でも彼は疲れ切ってぼんやりしままま。私には彼が幸せだとはとうてい思えませんでした。それだけ与えられたにもかかわらず。
一方的な奉仕や享受はやはり不自然だし、感情のバランスもおかしくなってしまうと思うんですけどね。
[ 2011/01/25 21:27 ] [ 編集 ]
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